ブックス・ハイボール

古本探して西東、古本探偵な俺のノンジャンル・ブックレビュー

優しくなければ生きていく資格はない『希望荘』  

探偵になりたかった。
名探偵、みんな集めてさてと言い。

エラリー・クイーン、ドルリー・レーン、エルキュール・ポワロ、伊集院大介。連続殺人事件を(起こった後に)朗々と謎解きをしてみせるカッコよさ。

物心付いたころ私立探偵というのは浮気調査ばかりだと知って幻滅し、いつしかその夢は霧のように消えてしまったけれど、推理小説を読むたびにあの頃のあこがれが蘇る。

宮部みゆきさんの杉村二郎シリーズは、大企業の創業者一族に連なる入り婿だった杉村が事件に巻き込まれる形の推理小説で、いわゆる名探偵モノとは趣きが異なる。事件が起こる舞台も雪山の洋館というようなところではなく、通勤時の路上だったり海辺を走るバスの中だったり、普段歩いたり過ごしたりしている「日常」である。



『希望荘』は前回の事件の余波で身辺が変わり、新たに事務所を構えた二郎が初めて探偵として手掛けた事件を含む連作短編。全4話だがどれもかなり力が入った話だ。

特に表題作が出色。老人ホームで死んだ老人が昔起こしたかもしれない事件の真相を探るという雲をつかむような導入から、意外な事実が明らかになる。宮部さんの真骨頂、老人と少年の触れ合いに涙。

二郎は明晰なひらめきがあるわけでもなく、ただ愚直に街を歩き、その過程で真相に突き当たる。
彼の長所は市井の人たちとの感覚の近さと同調能力だろう。自分がこの人だったらどうするか、という推察は優しい。悲しい事件にあった人たちに対する人間的な優しさ、そして優しくいるための強さ。

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格はない」。小説の作りや見た目は違うが、フィリップ・マーロウの系譜である。

いわゆる名探偵ではないけれど、目指す探偵像としては二郎のような探偵の方がむしろいいかもしれない。何しろ日常の出来事だから、本当に起こりそうだ。けれど巻き込まれるのは嫌だから、想像だけにしておこう、と思い直した。

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category: 小説

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みんな歴史の上で暮らしている『近くても遠い場所: 一八五〇年から二〇〇〇年のニッポンへ』  

あるとき家の近くを散歩していると、公園に突き当たった。

何かモニュメントがありふと覗き込むと関東大震災で、そして東京大空襲で何万人もの人が亡くなった現場だった。
空気が薄くなった気がした。
墨田区の横網町公園は被服廠跡のことである。

その場所の歴史をさらに遡ると明暦の大火、振袖火事の逸話に突き当たる。
死んだ町娘の振袖をはいで売りさばいて、知らずに買った娘がまた変死して、また振袖が違う娘に・・・。呪いの振袖を燃やしてしまおうとすると、火のついた振袖が折からの強風に舞い上がり江戸の町の半分を焼いた、という話。



ある事件があった場所でまた別の事件が起こり、そして今がある。
何も知らなければ単なる日常の舞台だが、歴史の地層の積み重ねを考えると一気に非日常となる。
自分の足元には幾層もの歴史が積み重なっているのだ。

ミズーリ号での調印式にペリーを重ね、鎌倉の鶴岡八幡宮で源実朝の暗殺の後に幕末の外国人殺害事件を重ねる。
消えていった生人形や菊人形の見世物歴史があれば、行政のプロモーションでよみがえった伊豆の長八というような例もある。
政治色でしか語られない靖国神社の遊就館についてその成り立ちや変遷について語る章は奇妙な心持で、批判色が目に見えてないだけに面白い。

振袖火事 → 関東大震災 → 東京大空襲 への歴史の系譜を想像すると、その次は?と考えてぞっとする。関東での大地震は70%クラスでやってくるとの予想があるわけで、おそらくまた火の海になるだろう。

近い場所にも遠い過去があり、意味がある。
大層意味があるようなものでも実はたいして意味がなかったりする。
抑制した筆致でちょっとした発見を淡々と語り実りの多い一冊。

遠くへ行かなくても発見はある。日々の暮らしが面白くなるだろう。

category: 歴史

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大事なひとを失う前に『永い言い訳』  

幸夫は美人でよくできた妻を持った人気作家。売れていない頃から支えてくれた妻だからかプライドが邪魔をしていつからかうまくいかなくなっている。友人との旅行で妻が事故死した時には愛人とベッドの中にいた。葬式の時、泣けなかった。同じ事故で亡くなった妻の友人家族と触れ合ううちに、幸夫の気持ちが変わっていく・・・。

映画監督と作家という二足のわらじを履いて、どちらもレベルが高い西川美和の話題作。



登場人物それぞれの視点からストーリーが語られる構成が面白い。その誰かから見る幸夫への評価が人物像を重層的にしているのだ。

幸夫は思いつきで妻の友人の小さい娘を自分が世話をしようか、と持ちかける。最初はうまくいかなかった疑似家族はいつか幸夫にとってなくてはならないものになっていく。

特に突然「消えた」母親との最後の会話に深く後悔している息子とのふれあいが感動的。

モノローグと描写の密度の濃さや言葉の選び方、展開の巧みさとあふれる情感。この疑似家族が幸せになって欲しい、と思う。

事故死から1年近くたってようやく幸夫は妻を思って泣くことが出来たが、それまでのゆれる気持ちや行動の経緯がタイトルの「永い言い訳」だ。

好きなものは好きといい、嫌いなものは嫌いという。
子どもなら普通に出来ることが幸夫には出来なくなっていて、だけど変わっていくその「ぼく」の主体はいつか読んでいる「僕」になりかわる。
大事なひとを失う前に、と問いかける。
大事なひとがたとえ遠くにいたとしても、生きてさえいれば、その大事だという気持ちを伝えるべきだ。

映画「アバウト・ア・ボーイ」が好きな人は特にグッとくるはず(独身貴族の男が子どもの世話をするうちに大人になる映画です。グッときます)。
自分勝手で、大人なのに子どもだった幸夫を、自分と重ねるだろう。

category: 小説

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人生は自分の外側にある『ジャックはここで飲んでいる』  

若い時には大変なことだったことが大人になると空気を吸うように出来るようになる。
片岡義男を読むとそう思ってしまう。



カフェで見知らぬ女性に声をかけられて自然に部屋まで行ってしまうことや、出会ったばかりの女性に部屋を貸すことになり自然に体を重ねること。それが行きずりではなく、その一回から新しい関係が始まるというのが大人の暮らし。

大人たちのカフェやバーのテーブルでは人生や哲学が自然と語られている。
例えばこんな風に。

人生とは関係の作りかたとその維持のしかた。
知恵や直感、センス、経験、判断のしかた、言葉の選びかたなど、すべてがそこに投入される。関係とは自分以外の人たちのことだから。
イコール、人生が自分の内側にあると思うな。内側にあると思うから自分で自分を追い詰めて不幸になる・・・。

ほとんどの短編では事件めいたことは起こらず、淡々と話が進み終わるけれど、タイトル作だけはある仕掛けがあって心がつかまれる。

クールなようで読み終えると人間味があるところは作家が年代を重ねたからなのか、こだわりは以前の作品そのままに自然体で書いているようで好感を持った。

カフェやバーで職場の人間関係や愚痴を言っているようでは片岡義男的には理想の大人ではない。自戒をこめて。

category: 小説

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あなたが勉強した学問はもう役に立たない『「読まなくてもいい本」の読書案内』  

難しいことを難しいままに話す人はアタマが良さそうに見えるけど本当はアタマが悪い。
本当にアタマがいい人は難しいことを誰にでもわかるように話す人だ。
そう思ってからずいぶん経つが、実践しようとするとなかなか難しいのだ。

複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学、功利主義。どれもなんのこっちゃなテーマだが、橘さんは知らない人にもわかるように語ってくれる。アタマのいい人だ。偏ってはいるが。

その橘さんが、権威になっているがもはや勉強しなくてもいい本について語りつつ最新の学問成果を紹介してくれるという、役に立つ一冊。あなたが学校で勉強した学問はもう陳腐化しているかもしれない?



例えば「複雑系」のところではいきなりドゥルーズ、ガタリはでたらめ、ポモは知的曲芸だった、と20世紀末に一世を風靡した思想家を断罪する。
マンデルブロの言った複雑さ(ラフネス)にも秩序があるというところには感心だ。
リアス式海岸の海岸線は一見何の秩序もない(カオス)状態のように見えるが、細かい岩の部分の自己相似なのだ。ブロッコリーの一房が全体を作っている。イコール、計算できるということだ。
自然界の根本法則は確かにDNAの4つの要素の組み合わせを増殖させることなので、なんでも生き物は分解していくとDNAにたどりつくのだろう。
そこから正規分布とロングテールのところに入っていくあたりは知的快感。マーケティングじゃないか。

進化論はロマンチックな学問だったが、人間社会も進化する、という考え方がマルクス主義や優生学につながった。
ドーキンスが言うように単に生物はDNAの乗り物なのかもしれない。

いちばん刺激的だったのはゲーム理論のくだり。
キューバ危機とチキンレースを比較して論じたところは知的遊戯の趣きもあるが、ケネディとフルシチョフの間で送られたシグナルとコミットメントが全世界を掛け金にしたギャンブルだった、というのは近現代史を読む面白さだった。

ビッグデータは理論無しに正解を導く方法と言い切ったり、脳は簡単にだまされるとか(アメリカで多発した親を児童虐待で訴えた事件はカウンセラーに植え付けられた嘘の記憶だった)、フロイトはでたらめだったことが証明されているなど、なんとも刺激的。

橘さんが言うように今でも何十年前と学問の仕切りが変わっていないのは、それで食っている教授や大学職員などステイクホルダーがいるためだというのはその通りだと思った。

学問や科学は人類と地球環境、世界をよくするためにあるはずなのに、そうはなっていない今。
問題を解決してくれそうな学問は色々あるようだ、ということはわかったものの、効果があがりそうな頃に地球が無くなってないといいのだが、と思う。

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